midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

 「世界の住所の物語」を読む。

 面白かった。「住所」を切り口にして古今東西の社会について論じた本。「通りに刻まれた起源・政治・人種・階層の歴史」という副題の通り、便宜的に人の住む場所を表すもの、というだけでなく人間の様々な思考がそこに表れており、人間のアイデンティティの一部でもあるんだなと学んだ。本書の中で取り上げらている通り、「日本人はあまり「通り」を意識して生活しておらず、自分の住む場所や目的地を示すときに、「通り」ではなくポイントになる特定の建物を軸にして場所を語ることが多い。」というのも自分には当然すぎて他にあるの?と思ってくらいその思考がしみついている。生活圏内で「通り」を意識するのはかなり大きな「明治通り」とか国道〇〇号くらいで、自分の家に面している通りの名前など気にしたこともなかった。

まず、いわゆる経済的な後進国やスラム街、難民を別にしても、現代のアメリカを始めとして住所をもたない人々がたくさんいることに驚いた。世界の70パーセントは詳細な地図がないらしい。同じように、土地が誰に所属しているか分からない場所もたくさんあるそうで、こういう話はインディアンが土地を所有するという概念を理解できなかったという話に通じる気がする。ニューヨークでは土地だけでなく、住所自体の売買も可能らしい。高級っぽい響きの住所は価格も上がるとのこと。ちなみに戸籍がない人も相当いるらしく、国家はまず身元の分かる国民を作る必要があったとのこと。

疫学的にも住所は重要で、どこで病気が発生しているかを特定したジョン・スノウという医者の功績が紹介され、現代でも地図がない場所での疫病の統計は非常に難しいという。

そして、住所を持つことがもたらす郵政事業や物流の利便性向上だけでなく、そこに住む人々にとって通りの名前をつけられること、また自分の好ましくないと思う人物の名前がつくことなど、住所が無味乾燥なデータベースなのではなく、そこに住む人の思考の結晶であり、どのような場所にしていきたいかという希望も含めた物語性だったり、帰属意識や社会の中での居場所という役割を持つということを知った。アメリカでアフリカン・アメリカンのコミュニティに行きたければ「MLK通りはどこですか?」と聞けばいい、という話もあるらしい。

ロンドンでの初期の郵政事業は受取人が郵送費を払うシステムとなっており、お金がない人達はあの手この手を使って郵便を受け取らずに中の情報を得ようとしていたらしい。それを送り人が払うシステムにしたというのが最初の郵政改革だったとのこと。住所を持たない人に確実に郵送するため、曖昧な住所を解読するエキスパートもいたらしい。

住所をつけられることに対する拒否反応も、今の日本のマイナンバーカードの普及妨げに繋がる「公権力に特定されることの居心地の悪さ」に通じるんだなと。ウィーンでは最初に取り付けられた家屋番号の札は住民に壊されたりしたらしい。そして逆に、住所を公権力がつけることは、ある意味で好ましくない人種やスラム居住者に居住許可を与えるようなものに等しいという抵抗感もあったようだ。

what3wordsというプロジェクトがあり、世界のあらゆる場所を3単語で表現するというもの。要するに現実世界バンのDNSだよな。