midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

 「民衆暴力」を読む。

民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書)
 

・デモとテロの混同。「暴力はいけない」という道徳的な感覚が別の暴力(国家による暴力)に対する無感覚を引き起こす危うさが現代にあふれている。

・国家の暴力装置である軍・警察による影響力が小さい状況では民衆に暴力を移譲したり(自治)する傾向がみられる。

・江戸自体以降に確立されてきた仁政イデオロギー。領主は百姓から年貢を取るが、生業を維持する責務があるという考え方。この考え方により、一揆は現代に考えられているよりも暴力的ではなく、形式的で所作が決まっており、最終的に百姓は領主と講和することを目的にしていた。

・「ええじゃないかとは、現実とは異なる幻想的な世界を求める、世直し的な要素を持った踊りであり、集団的な熱狂の力を借りて、人びとは日常では不可能な要求をおこなった。」

・明治になって新政府が出した徴兵制や学校教育、また混浴の禁止や裸で外をうろつかないなどの細かい「野蛮」生活様式についてまで民衆の生活を西洋的に激変させることになり、反感も多かった。

自由民権運動は演説会が演劇場で行われるケースが多く、弁士を善、警官を悪として勧善懲悪の演劇を見るようにして聴衆は政談演説会の政府批判を楽しんだという。

秩父事件自由民権運動の一環というよりも、内実は借金に苦しむ民衆による、旧来の仁政イデオロギーの崩壊による無慈悲な政府への反乱という要素の方がおおきいと思われる。

・「通俗道徳のわな」という、政府が奨励する質素な生活を送れずに苦しむ民衆を自己責任に追い込む仕組み。

・日比谷焼き討ち事件は日ごろの鬱憤がたまった都市肉体労働者がマチズモを発揮して暴動となった要素が大きい。

関東大震災時の朝鮮人虐殺は公権力が流したデマによってお墨付きを与えらえれた民衆が自警団をもとに行動し、「敵」認定した人間から共同体を守るというある種の正義感や自尊心、または暴力への憧れなど複合的な要因で暴力に向かった形跡がみられる。「アクト・オブ・キリング」を思い出す。当時は「不逞鮮人」なる朝鮮人に対するテロリストのような悪いイメージの言葉が普及していたことも背景にあり、暴力の正当化に繋がってた。