midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

「ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観」を読む。

今年読んだ本で今んとこ一番面白かったかも。付箋も大量に使った。とにかく目から鱗の連続で、同じ地球上にこんな言葉を使い生活を送る人がいるんだと驚いた。ほとんどSFの領域。ブラジルはアマゾン川の奥深くに住むピダハンという民族にキリスト教の宣教師として訪れたアメリカ人がやがて彼らに逆に感化され、信仰と家族を捨てて言語学者となるに至った物語や、ピダハンの言語の特色について初学者にも分かりやすくまとめた超良書。翻訳もピダハンの原語リスペクトな姿勢が伝わり読み応えも良い。

びっくりポイントをとりあえず挙げていく。

・死が日常茶飯事のため、生に強く執着しない。親が死のうと子が死のうと、日々の食糧調達が必要なので、親戚はおろか他人のためにいのちをさしだしたり一生懸命になったりしない。著者の子と妻がマラリアで死にかけた時も狼狽する著者と対照的に彼らは「街に行くんか?だったらタバコを持ってきてくれ」なんと呑気なことを言っていて、著者にカルチャーギャップを与えた。集落内でも、病気で死にかけた赤ちゃんには酒を飲ませて殺すこともある。苦しみを引きのばすようなことをしない。自助が必要。

・著者自身、ピダハンに家族もろとも殺されかけたことがある。酒に弱く、外部からアルコールがもたらされると集落が荒れる。老若男女関係なく、子供も飲む。

・羽毛飾りや手の込んだ儀式、ボディペインティングなど、他のアマゾンの部族のように文化を誇示しない。家も質素。自分たちの生活に心底満足しているらしい。

・いわゆる芸術作品のようなものも作らない。何かを便利にするための道具すらほとんど持たないし、作っても使い捨てしてしまう。船は作るが、機能的な船の作り方を教わっても実践しようとしない。

・基本は空腹を保ち、必要な時に最小限だけ取って食べる。一日3食する西洋人を見て驚く。貯蔵する習慣がない。

・週に20時間ほど位しか食糧調達(要は仕事)をしない。後はごろごろしてたり駄弁ってるだけの生活。

・集落に長老のような人物がおらず、上下関係がない。親子間であっても親戚であっても、人に命令するという習慣がない。

・夫婦関係はあるが、結構誰とでもセックスする。年齢差とかもあまり関係なく、思春期以降はOK。世界的に禁忌とされている近親婚すらある程度容認されている。でも不倫すると人によっては怒られたりする。

・子供という概念がほとんどない。乳飲み子は親が育てるが、歩けるようになると基本扱いは大人と変わらず自分の食料を自分で調達し始める。よって教育という概念もない。自分の子供が危険な状況にいたとしても、助けたりすることなく、痛い目を見たら初めて危険から子供を遠ざける。

・性による分業はある。男は森や川に行って漁をし、女は芋掘りや木の身を拾う。著者による言及はないが、写真からすると服装はやはり女性の方が肌が隠れる部分が多く、髪も長い。この辺は西洋的な影響があったのだろうか。

・警察もないし、裁判所もない。あまりに反社会的なピダハンは「村八分」によってコミュニティから追放される。

・夢を幻として扱わず、寝ている時の現実と位置付けている。

・直接体験を重視するため、大昔に死んだ男のはじめた宗教(キリスト教)に興味を持たない。ピダハン語に訳した聖書を聴かせると、洗礼者ヨハネが首を切られるところで皆盛り上がっていたらしい。超面白い。

ヘラクレイトスよろしく、過去と比較した現在の人間は必ず構成要素が異なっているため、「同じ人間」ではないと言えるが、ピダハンも周期的に「生まれ変わり」名を改めて生き直す。数年ぶりに会う人には、別人として接する必要がある。

・西洋的に言うと芝居といえるような儀式として、「精霊との交流」がある。村人が声を使い分けて精霊を演じる(ように見える)。本当に信じているのかはさだかでないが、プロレスを楽しむようなメンタリティだったりするのだろうか。


言語的特徴

再帰がない。区の中に区を、文の中に文を組み込む方法がない。

ピダハン語には「交感的言語使用」がない。要するに挨拶とかお礼、謝罪に当たる言葉がない。新しい情報を提供する言葉でなければ必要としない生活。お礼や謝罪は行動で示すのみ。

・2言語を使えるいわゆる「通訳」がない状況の言語学習はめちゃ大変。ピダハンは基本モノリンガルで、交易のために若干ポルトガル語が分かるものがいるくらい。対象物に指をさして相手が発する音でことばを知るしかない。でも、「男が上流に戻る」と「自分は男が上流に戻るのを見ている」という状況を言葉で聞き分けたりするのは超難問。

ピダハン語は使う音数が少なく声調で意味が異なる。同じような音の言葉が抑揚によって意味が全く異なる。

・比較級がない。色を示す単語もない(「赤」を「血みたいな」と表現)。数がない(多いとか少ないとかで表現)。過去形がない。要するに直接自分が体験している現在にしか生きておらず、色など抽象化した概念を必要としない。数が数えられないからブラジル人の交易商人などと商取引で騙されやすい。

・最初、「ジャングル」を示すと思っていた言葉が「世界」のことだったというように学習上で意味を取り違うことも多い。

・森の中の狩りの場面などでは口笛で会話する。

・転移がない。(the man is here.がis the man is here?となること)物語そのものや文脈によって転移によって伝える情報を伝えることが出来る。

・左右の概念もない。右に曲がる、左に曲がるという言い方ができず、◎◎のある方に曲がる、というような言い方しかしない。そもそも左右の概念も相対する人間同士で会話すると意味が逆転するし、必ずしも左右概念は優秀とも言いずらい。

・受動態がない。

読めば読むほど、決して彼ら自身外部の文化と交流がないわけではないのに、全く自分たちのライフスタイルを変えずに現在まで独自の言語を使い続けていたのは奇跡的な事実だと思う。彼らは武器も外交手段も持っていないので、外部に攻め込まれたら即絶滅してしまうだろう。今日までこの桃源郷のような生活を続けてこれたのは、研究者からしたらほんとにダイヤの原石を拾ったようなもんなんじゃないだろうか。こういうの知ると、植民地時代の帝国主義国家のやってきた蛮行は貴重な世界の記録を破壊しつくして来たんだろうなと思わせる。大英博物館に眠ってるものなんてそのわずかな残骸にすぎないんだろうな、とか。

勿論、たかだが30年コミュニティに寄り添ったイチ研究者の調査が彼らの生活・言語を全て描写出来るとは思えないし、恐らく本書をピダハン語に訳して彼らが聴いたとしたら誤解されてると思うところもあるんだろうけど、貴重な記録であることは間違いない。ただ、近年のテレビカメラが入った取材によると、彼らは遂に学校という制度によるポルトガル語教育やテレビなどの近代的な道具を受け入れ始めているらしい。善意による破壊がまた起ころうとしている感が凄くて悲しくなった。

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研究者としてはピダハン賛美にならないように慎重に距離を取ろうとしていると思うんだけど、「彼らは言いたいことをひとつも漏らさず表現することができているのである」みたいに表記している部分とかはちょっとどうかと思った。ピダハン語、魅力的だがそこまで万能なのか?みたいな。とは言え、自身の信仰すら捨てさせた人間の生活に肩入れしないなんてことがそもそも出来ない気もする。何しろ、信仰を捨てると語ることは、ヘテロだと信じて疑わない伴侶にゲイだと告白するような気持ちかも、と記す程なのだ。他の社会を見る時に、自分たち自身の社会の価値観や仕組みを投影して観てしまう。と著者自身も語っているけれど、これだけオープンマインドで新しい価値観を取り入れることのできる人間でいたいなぁと思う。

そして、チョムスキーって言語学界の一大巨頭なんだなぁと改めて知ったり。彼の演繹的手法による言語研究によって、「それまでの帰納法的なフィールド調査による研究でなく、村ではなく設備の整った研究所でまずスキのない論文を書き、しかる後にどうすれば事実がうまく理論と符合すれば考えればいい」という学問に替わったらしい。チョムスキー曰く、人間と他の生物との違いに「文法」を使って意思疎通ができる点があると。他の生物も意思疎通はするが、文法を持たない。

あと、デヴィット・ソローの「森の生活」は読んでみたい本となった。人間は自分で持ち運べる程度の箱があれば生きていける、みたいな内容らしい。