「多数決を疑う」を読む。
民主主義を運営する上で必要十分と思われてる多数決って決め方、あんま合理的でないよね、という本。複数の人がいて意志決定をする上での決め方ってたくさんあるんだなというのを改めて知ることが出来た。そして、その中でも多数決ってかなり不合理なことが分かってるのに、いまだに選挙や国民投票では多数決というのが絶対だと信じ込まされていて、為政者は「選挙で、多数決で選ばれたのだから民意は反映されているので、後は代表者の意志で意志決定する」と主権者である国民のデモや陳情を軽んじるというのがよく見受けられる社会となっている。本書では、この決め方というのがいかにたくさんあってそれぞれに特徴があり、同じ投票内容でも採用する決め方次第で全く異なる結果になるんだということを丁寧に議論していく。具体的には、約250年ほど前のルソーの社会契約論での投票にかんする議論に遡って、ボルダルールという順位にポイントをつけて評価する方法だったり、コンドルセの最尤法という統計的手法で選択肢自体の優先順序を明確にして一番誤差の少ない選択肢を選ぶ方法だったり、それぞれの決め方を比較図式化して長所や短所を探っていくという具合だ。
単なる社会選択理論の歴史や科学的な厳正さを学ぶだけの内容になっておらず、実際にナウルではダウダールルールという点数形式での投票が定まっていたり、国民投票による憲法改正のラインを多数決で決めることの危険性だったり、実社会に落とし込んで議論されるのでかなりアクチュアルに、自由でより良い社会を運営するための提案にもなっている。
そして、本書を読んでるうちに頭に浮かんだアイデアというのが著者とかなりリンクしていることに後で驚いたし、納得感があった。具体的に言うと、巻末に謝辞として紹介されていた「なめらかな社会とその敵」の鈴木健氏との交遊だったり、スマートコントラクトを使った意志決定の2つだ。確かに現時点では非常に不合理な多数決を使わなきゃ社会運営が成り立たないかもしれないけど、ギリシャ時代以来念願の直接民主制がブロックチェーン使ったスマートコントラクトで実現できるんじゃないか?と思いつつ読んでたら、著者自身も近年ブロックチェーンに関する書籍を書いてたり活動してるみたいで、やはりスマートコントラクトはこういう場面で利用できないかなーと自分でも思案している今日この頃。