midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

「僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか」を読む。

ちょっと前に新書で手にとって読んでみようかなと思ってた一冊。言いたいことは簡潔で、無駄のない議論なのでサクサク読める。「誰かを採点し続けるのではなく、自ら当事者として社会を変えていくための実効性ある方法を提言する」もの。ちょっと要約。

・なぜ日本が苦しい社会になったか?

→経済成長が鈍化し、生産人口も減っていく日本では、富の「配り合い」ではなく、誰かが痛みを負う「削り合い」社会へとシフトしている。古くなったシステムを刷新することは難しいので、「少しでもマシ」なシステムにアップデートしていくしかない。増え続ける財政赤字の中でも、あらかじめ予算の枠は限られている。どの政党も、各省庁が要望してくる政策パッケージの多くをそのまま踏襲し、あまり政党ごとの違いのない「政策の幕の内弁当」状態になっている。そして、誤った議論によって政策が可決されて言っている。例えば消費税の増税は、「余裕のある所から取り、必要な所に配る」という基本から離れる逆進性を持つため、本来社会保障の財源としては適さないが、可決されてしまった。政策は、「コストと効果」「副作用」「効果の影響先(誰が影響を受けるか)」の観点で評価されなければならないが、ほとんど効果のない政策により関係のない無駄な手続きが増え、さらに関係省庁の天下り先確保として機能しているような「国民益」に反した政策がたくさんある。そして、低成長に慣れてしまった若者には、「若者の○○離れ」ではなく「カネの若者離れ」が起きている。低成長、脱成長を勧める議論は、漠然と「競争社会をやめること」ではなく、むしろ「パイを減らすことで過当競争を全国民に強いる、過酷なイス取りゲーム」に過ぎなくなっている。生活保護制度は、高齢者福祉や障害者福祉がうまくいかないことによる受け皿として機能している実態があるにも関わらず、不正受給者の報道が目立つことによって切りつけようとする議論が強くなってしまっている。

・どうすりゃいいか?

縮小する社会をどう維持するか、考えなければならない。財源を必要とする政策と、財源が必要ない政策をきちんと切り分けて、必要とする政策はそれを無駄に予算確保するのではなく、効率的に回せる社会にする。社会には「困っている人」と「困っていない人」がいるのではない。「困っている人」と「いずれ困るかもしれない人」がいるのであって、全ての人が制度設計を考える必要がある。困っている人に対して「気合」や「自己責任だ」と押し付けるだけでなく、社会が包括することができるシステム作り。できることとして、デモに参加したり、NPOを起こしたりと、特定のイシューだけでも良いので政治活動に関わってみる。その際、それが自己満足に陥っていないか(スラックティビズム)点検する姿勢を忘れずに。動きの遅い国に対して、NPOなどが少しでも早いソリューションを作ることで政府に圧力をかけていく。

ざっくりまとめるとこんな感じだろうか。ほとんど異論はないので、自分の場合に置き換えて考えると、やはり「風営法」の問題が身近で、更新する必要がある法だと思っている。既に先人を切って活動している人たちも多いので、何とか自分たちが楽しむ場所を守っていけるように動いていきたいと思う。