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横綱の格式」を読む。

横綱の格式 (プラチナBOOKS)

横綱の格式 (プラチナBOOKS)

相撲好きの母親が今年還暦を迎えるので、お祝いにいっちょ升席でも招待しますかと思って読んだみた。自分としても両親の影響もあって相撲は子供のころから親しみあるし、興味もあるのでちょっと知識を深めたいなと思いつつ。そしたらなんと、巻末に相撲観覧の楽しみ方まで抑えてあってラッキー。

著者のことは全く知らなくて、本をパラパラ見てて面白そうだから決めたんだけど、著者略歴を見たらちょっと不安になった。ノンフィクション作家とのことだが、卓球とか糖尿病とか天皇家とか、まったく関連のなさそうな著作が並んでおり、大丈夫か?と不安になった。でも結果としては杞憂に終わった。ちょっと思い込み激しくない?と思うような記述もあるけど、民俗学的によく調べられててすごくいい本。

本書の一貫したトーンとして、「横綱の品格とか言ってるけど、相撲の歴史の中で横綱という番付が認められたのなんて割りと最近だし、時代に合わせてすごく柔軟に自らのあり方を変えてきたビジネスライクなところがいいんだよ!」という感じがあってよい。変に神格化してなくて、あっさりとルールを変えちゃったりするのも面白い。テレビ放送に合わせて制限時間を急に設けたり、見る時に邪魔だからという理由で櫓の柱を取っちゃって上から吊るす形にしたりとか(昭和27年まではあったらしい)。しかも、自身のアイデンティティ確保のために農耕神事に由来する儀式を相撲が「取り入れて」、「逆世俗化」させちゃったりというのも面白い。リー・トンプソンという社会学者曰く、「現在の相撲の形式ははじめからあったものではない、ということである。神事的性格があまり強くない興行相撲がまずあって、後から現在見られるような宗教的要素を次々と取り入れてきたと言える。この過程を「逆世俗化」と名付ける」そうだ。こういうちゃっかりしたしたたかなエピソードを聞くとより相撲を愛せる気がする。他にも、横綱の土俵入りは大名行列の様式を模していたとか、霊的存在でありながら現実的な支配者像もうまく取り入れるているというのも驚きだ。

しかも、今は土俵が穢れるとして嫌われる女性の存在についても、実は江戸時代には女性専門の相撲興行もあったらしい。ただ、どちらかというと男性が興味本位で見るものらしく、ちょっとキャットファイト的な性格を持っていたらしい。それはそれで結局いろいろなニーズにこたえている様が相撲という競技をすごく世俗化させちゃってる気もするが。

さらに、日本人ならほとんど認識として持っているであろう「国技は相撲である」という認識でさえ、実は誤っているという。勝手に相撲協会が自らを国技と名乗っているだけであり、公的な機関から認定されたものではないらしい。相撲に近い競技はモンゴル相撲とかだけじゃなく世界各地にあり、別に相撲だけが特別ではないんだとか。

あと、江戸時代の最強力士雷電のエピソードはまるで刃牙を読んでるみたいで楽しかった。197㎝、169kg(一時期の把瑠都と同じサイズらしい。)で、勝率96%の化け物。しかも、当時の力士としては珍しく、相撲巡業について記した日記なんかも書いていたという才人らしい。日記は日記で、給料は遊郭に全部使ったとか豪快なエピソードが面白い。刃牙宮本武蔵と戦ってるけど、雷電編とかやったら面白いんじゃないだろうか。