midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

「ファン・ホーム」を読む。

面白かった。ジャンルとしてはバンドデシネの売り場で売られてそうだけど、SF要素やビジュアル面での面白さはほとんどない、重厚な人間ドラマ。いや、重厚でもないかもしれない。比較するなら志賀直哉の「暗夜行路」とかの作品なんだろう、父と子のドラマだ。それも、父を失った、子の一方的な振り返りの物語。鏡合わせのように正反対なのに、奇妙に生き写しな親子の物語。

おそらく、誰もがこのマンガを読んだ後、自分の父との関係性を考えるんじゃないだろうかという位、強いメッセージを持っている。父親と正反対の道を歩んだ人も、父親と同じような道を歩んだ人も、まだ自分の道を選べず、学業についている人も、セクシュアリティの如何に限らず、非常に普遍的な物語になっている。父の死(自殺をにおわせる)を発端に一人称により過去を遡って語っていく主人公はレズビアン(恐らくもっと細かい、より的確な呼称があるのだろうけど)で、厳格で家庭の中で常に独裁的な父は実はホモだった。アメリカの片田舎に住んでいた(後に大学生になった主人公は、父親の強い訛りによる語りのテープを聞くことで自分の出身を自覚することになる)、学校教師であり、町の葬儀屋であった堅物の父は、NYなど都会に遠出する機会や若い少年に声をかけ、遊んでいた。

結構、この辺はスリリングですごくリアリティのある設定である。人によって大分差があることは何となく経験を積み重ねて知れたきたけれど、親が自分のセクシュアリティについてどこまでオープンに子供と対話することが出来るかということは、かなりセンシュアルな問題である。少なくとも自分は好きな女性が出来たときに父親に相談してみようという考えを「もったことがなかった」。我ながら父は、全くもって色恋に疎いことは幼少期から何となく感じていたし、成人する前くらいまでは特に尊敬もしていなかったように思える(逆に、今では職場の糞みたいな誇りも尊厳もない先輩・上司よりはるかに尊敬しているが)。友達の話を聞くと、結構親の直接的な性に関するエピソードを聞いて育ってたりするし、そういうのを聞くたびにカルチャーショックに襲われる。かといって実の親とセックスについて語りたいわけでは断じてないのだが…。

という風に、主人公を自分に置き換えて共感する読み方が出来る人にはとても良い読み物であると思う。本作のように、英米文学を媒介にしたつながりなんてなくても良い。特に、強迫神経症にかかったくだりの主人公の冷徹な自己批判はとても胸に迫るものがあった。必ず決まった順番でないと服を脱ぎ着できないし、寝る前は決まった順番でぬいぐるみ達にキスしないと寝れないとか、それを過去の自分の日記からとても冷静に浮かびあがらせ、作品内で苦笑を禁じ得ないような描写を続ける。自分と切り離して観ることもできない、一定の共感や相似があるだけにとても面白い。

実は、今週の土日は実家に帰り、何事もなくダラダラしていた。父に地元の安楽亭の焼き肉コースをおごってもらったり、実家では母が腕をふるってくれたスペアリブをほおばったり。幸せなひと時ではあったが、このマンガを読んだ後だと、やはり父と過ごす時間が気になった。

父を助手席に乗せて、地元のショッピングモールやスーパーで買い物をした。本作にあるような、セクシュアリティの話なんか当然出てこないが、どうしても本作のラスト、ハイライトと言ってもいいような父子の邂逅シーンを頭の脇に思い出しながら、田舎道を俺は運転していた。

本作と同じく、私たち親子もそれほどおしゃべりではない。運転中の無言の時間は多い。しかしながら、本作のラストと同じく、父は道しるべになってくれていると思った。さりげないナビゲーションをしてくれて、自分もそれに応じた。

自分がこれからどんな人生を歩むか、自分でもわからない。それでも、自分にとって両親の生き方は良くも悪くも一番強い影響を受けているし、二人が耐え忍んで自分を育てた姿を一番間近でみているのだ。まだまだ父の領域に達することはできていない。別に仕事だけというわけではないが、父に認められる男になりたいものだ。