midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

 「キューポラのある街」を観る。

キューポラのある街

キューポラのある街

  • メディア: Prime Video
 

第2次世界大戦後50年代の埼玉は川越の市民の生活を描いた傑作。飲んだくれで低能かつ封建的な父親や、真面目に働くけど世間体ばかり気にする母親の元に生まれた聡明な学生が「配られたカード」の中から最大限に努力して充実した生活を送ろうと奮闘する物語。名作と謳われるだけあって、素晴らしかった。主人公である吉永小百合にしても、非常に限定的な環境の中から、恋や進路に色々と悩むのだが、自分のやりたいことを最大限実現する生き方を選ぶ姿に惚れ惚れする。そして逆に、この映画に勇気づけられたであろう日本の人達で、現代にその片鱗をあまり感じないのは残念に思う。

作中の吉永小百合は誰にも媚びない。両親、特に絶対的な権力者である父親に対しても学ぼうとしない「無知蒙昧」と切り捨てる。韓国籍の市民をバカにしたり、現代にも続く差別の片鱗がある。この作品から50年以上経ってからも、自分が親に対してこの作品と同じような印象だけでの差別感情を抱くことに対して恥ずかしくもあり、情けなくもある。社会科学による知識を持って啓蒙しようとする傲慢さを理解しつつ、かといって国籍、性別、年齢など様々な因子に応じた差別主義者である両親に対して「自由主義」の元で思想を許さざるを得ない。

作品としては、伝書鳩の習慣が生きていたり、金欠でバイトするのがパチンコ屋だったり、当時のカフェの不良っぽいイメージとかを感じられたのは時代がかっていて面白かった。そして、中学生が学ぶ数学が少なくとも自分が学んだ数学(三角関数や相似)とあまりレベルが変わらないことにも驚いた。また、主人公の父親を救う労働組合という制度が社会に台頭してきたタイミングなんだろうなというのも感じたし、プロパガンダ的な匂いも感じた。特に特定の政治思想を礼賛する感じはないが、一生懸命生きる日本人のイメージとして本作は大いに機能するだろうなとは思った。