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ゴーマニズム宣言 国防論」を読む。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 国防論

ゴーマニズム宣言SPECIAL 国防論

特定秘密保護法、日本版NSC、憲法改善、集団的自衛権…、安倍政権になってから着実に戦争が出来るための体制が整っていくことに反対・賛成するものがいれば、どのように振る舞ったらよいか、どの情報を信じて何をすべきかわからず不安になっている日本人は多いと思う。戸惑っている間にも、国の防衛政策は賛成派からしてもかなり急ピッチであることは間違いないだろう。アメリカによる有事に足並みをそろえさせるよう強要する動きを初めとして、近隣諸国でお互いの国に対する印象が悪くなり、歴然と挑発行為を繰り返す国も多い。しかし、それだけの外圧があることは理解できる、それが国民に説明できているだろうかという点ではかなり疑問を持つ人は少なくないだろう。国はどのように自分を守るべきなのか、少し具体的な手法を考えてみたいなと思って、折に触れてお世話になっている本書を手に取った。

大学入りたてでゴー宣に触れたときはとてもショッキングだった。起きている間はゴー宣を媒介にした様々な思考があふれて止まらず、価値観や考え方を大きく揺さぶられたことを思い出す。

あれから約10年がたち、様々な体験や読書により以前ほど小林よしのりの言説に影響を受けなくなったことは確かだが、やはりこの人はマンガを読ませる力がすごい人だなと思った。賛成できるところも反対なところも勿論あるのだが、読み物として面白い。特に、前半部分の東北大震災の描き方は秀逸だったと思う。現地で緻密な取材をした成果でもあるのだろうけど、震災後すぐにあのレベルの津波描写が出来るというのはすごい。もちろん著者も自分も体験したわけではないが、それだけの臨場感のある絵作りだった。そして、戦後最大の緊急事態として国がどんな動きをとったのか、その実働部隊として自衛隊がどのように機能したのかを丹念に追っている。個人的に接したことのある自衛隊員はごくわずかなのだが、確かに彼らが共通して持つ自立心というか生真面目な雰囲気は印象的だし、マンガでもかなり礼賛する形での描写となっているが、これだけの惨事を急速に復興させることが出来たのは彼ら自衛隊の働きによるところが大きいというのは事実だろう。ボランティアやNPOではどうしてもできない、その空間を占領し、秩序を生むという行為は一定の武力や暴力を礎にしなければできないのかもしれない。本書の中で著者が触れているマックス・ヴェーバーの「暴力装置」の定義についてのくだりも、少し前に読んだ「カネと暴力の哲学」の通り自分の認識とも一致するものだった。

なんだけど、今ひとつ納得いかない部分もあるのだ。自衛隊が守るのは「国体」であり、象徴的な存在である「天皇」であるというのは首をかしげる。守るべきは国民とその生活であるんではなかろうか。こういうと生命至上主義として批判されるのかもしれないが、過去の英霊や過去の土地に住んだ日本人のために生きているわけではない。生まれ育った土地や人について「親しみ」は持っているけど、「元からあったものをそのまま次の世代に渡す」ために生きているわけではない。要は俺の場合、著者よりももっと自由を信望している。

国はいざというとき、超法規的な動きが出来なければならないという。時の首相の判断により、国という巨大な暴力が剥き出しの人間に振るわれることを要因しなければならないという。警察の力を背景にした国の内部に向けた力が秘密保護法であるだろうし、外部に向けた力が戦争である。確かに、戦争は国家が持つ外交のカードの一枚としてあると思うし、そのカードを取り上げられた今の憲法は押し付けられた占領憲法であるかもしれない。本書で取り上げられた自衛隊は、国を守る・敵を攻撃するだけの実力を伴いながら、今は不自然な形でその力を押しとどめられているが、現場の人間や自衛隊学校で学ぶ人間は立派な「軍人」(になるもの)として切磋琢磨しているのだという。まずこのような考えを持った人間による営みが現在の日本で行われていることに驚いたし、国防について知識が浅すぎるなと反省することも多かった。

まだまだ考えなければならないテーマは多い。安全を確保したいという気持ちは自分にもあるし、それでいてなるべく人に干渉されず自由を謳歌したいという気持ちもある。この二者はトレードオフなのだろうか。どうにかして両立することはできないのだろうか。