midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

パロマー (岩波文庫)

パロマー (岩波文庫)

かなり面白かった。天才柳沢教授はこの作品の変奏といってもいいかもしれない。

観察対象は彼の場合世界全体の具体的現象を取り扱うのに対し柳沢教授は主に人間に対する行動の科学という面が大きいが。あと、後者にあるような人情物語は一切無く、パロマーは世界を測り終えることなく淡々と観察を続け、知恵を求め、認識を深めようと努力する求道者のようであり、ラストで死を迎える。

パロマー自身の属性に関する記述はかなり少ない。ローマで奥さんと娘がいてテラスのある家に住む割と暇そうな中年男性ということだろう。経済的にそれほど不自由はしてなさそうだが彼がどんな仕事をしてるのか、どんな趣味を持ちどんな友人がいるのか(電話で鳩について聞く描写もあるから社会的なつながりはあるんだろう)、どんな外見をしているのかほとんど分からず、彼の世界に対する「観察」する姿勢や描写を通して彼を読者も理解する。

結構マヌケな描写も多い。奥さんに頼まれて行ってるのかは不明だがチーズを買いにいったり、動物園でゴリラ見たり、海で延々と波を見たりトップレスの女性を眺めたり、日本の寺見たりメキシコ行ったりする。そしてチーズの件では思索を深める内に列の流れを乱したり、海の女性からは気味悪がられ逃げられる。不器用で内向的でかわいらしいおっさんだ。

そもそも彼はなぜ観察を始めたんだろう。彼の自意識の芽生えは、最強伝説黒沢のように唐突に現れたのだろうか。もしかしたら読み逃してるかもしれないが、彼は世界を見る窓枠というモデルを想像していて、第三篇の中で自分の小宇宙に対する観察についていくらか述べている。その辺がちょっと曖昧なまま読み進めてしまったけど、彼は一秒一秒宇宙を理解し記述しようとすると、拡散してその作業を終えることが出来ないという結論に達する。そして、その終わりない作業を終えるまで死の先を考えない、と決心したその時に彼は死ぬ。

うーん、どう読めばいいんだろう。死は思考の先にあるということだろうか?俺の中では生と死はある連続的な現象だと思っている。勿論死んだ先の世界を想像することは出来ないけど(死んでるから)、どこの時点で自我は解体されるんだろう?なんだか脳死問題みたいな分野だな。カルヴィーノ自身の意図を最大限重視するわけではないけど、彼はこの辺の思いをどうテクストに織り込んでるんだろうか。

省略の文学 (中公文庫 M 94)

省略の文学 (中公文庫 M 94)

ずっと前に買って読んでなかったけどやっと読了。日本語の形態が日本人らしさを形成してるのでそれを無闇に論理的な英語に翻訳しようとせず、それでも上手いこと国際社会で渡り合える日本人になろうみたいな本書の後半部分はまーそうだろうねと思うくらいでほとんど読んでて面白くなかったけど、俳句の切れ字を例に日本語の構造と文芸の在り方と日本の近代芸術受容の問題点を述べていくところは今読んでも新鮮でかなり面白かった。

切れ字の生む余白というか詩的な空間の創出というものを、彼の言う俳句に対する「コンベンション」のない俺も単純に味わってみたいと思ったし、詩があって散文があるのだという当たり前のような認識も得られた。言葉に対する緊張感の無いだらだらとした散文小説よりも、575の音に構成された詩の面白さの方が質的な高みを持ってるっていうね。作者の意図を絶対視せず、「添削」するという文化を備えた俳句の世界ってやっぱり近代的な価値観とそぐわないかも知んないけど、忘れないようにしてほしいな、文筆業で食ってる人たちは特に。この辺から表現や著作権に対する問題もいろいろ切り込めると思うし。

まあ何よりよかったのはこの外山滋比古という人がすごく平易な表現でエッセイみたいに書いてくれるてること。書き口からして、割とフランクな人なんじゃなかろーか。頭にすーっと入っていく読書の楽しみが得られた。