midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト」を読む。

期待していただけに、余りの内容の酷さに笑う。「リアル鬼ごっこ」を彷彿とさせる文章力の低さと、雰囲気だけ最先端な感じの単語をソーカル論文のように並べたてた、この本自体が学習量の足りないAIで書かれたんじゃないかと思うほどの出来。

ちりばめられた単語をもとに言ってることを何とか要約すると、佐藤 航陽氏の「お金2.0」とほとんど変わらないんだけど(こちらの方が100倍分かりやすく、読みやすい)、とにかく人に伝えようと言う気がさらさら感じない、行ったりきたりの蛇行運転のような文章で酔いそうになる。薄い一般書だし別に論文じゃないから単語の定義をきちんと決めて論を進めるという形式を取る必要はないかもしれないが、これだけバズワードのような底の抜けた言葉を使って論を構築しようとしても理解しづらいし、彼自身も読者に理解してほしいというよりも、そういう単語を振りかざす自分に酔ってるんだろうなぁ、そして周囲もそれを褒めたたえるんだろうなぁと悲しくなってしまった。

全編を通して、「共同幻想脱構築された今、ビジョンはカリスマの手を離れ、個人個人が別のビジョンを持つことを求められている。今、私たちに必要なのは、信じるに足るパラダイムやフレームであり、各自の幸福論やビジョンを追求する、生き方を求められている」みたいな文章がずっと続くんだけど、この文中で使われる「共同幻想」「脱構築」「カリスマ」「パラダイム」みたいな言葉って人によって想起するイメージがかなりバラつくと思うんだけど、一切の補助線なしでガンガンこういう言葉を使うのでめちゃくちゃ読みにくい。「共同幻想」は俺にとっては吉本隆明を思い出すし、「脱構築」はデリダを思い出すんだけど、彼らの思考をなぞったりとかは本書の中では一切ない。

後は、ルー大柴的な、やたらとカタカナ言葉を多用する辺りもギャグのようで痛々しい。例えばギャンブルのことを、「もっとクリエイティブに人間のこの性質をハックしたい」とか書いてるけど、ちょっと吹き出しそうになる。

さらにひどいのは誤字というか日本語として破城している部分も多々あり、例えば、「全員が全員、同じ目標に向かって走ることができないので、ソフトウェアだったら走れるけれど、ハードウェア、もしくは、ニッチサービスだとそれは無理なので、ニッチに分けた方が正しい。」という文章。これ、原文ママだけど、何が言いたいか分かる人いるんだろうか?

冒頭に「丁寧に論じたつもりだ」とか書いてあるけど、ケンコバよろしく「正気ですか?」と問いたくなる。多義的な言葉には註をつけてもいいし、参考文献や引用文献、引用データを載せるとか、彼自身が何度も本書内で強調する「研究者」であるならいくらでも丁寧に論じる手段はあるが、本書にはこれらは何もない。彼は学会で発表する論文でもこの調子なのだろうか?

極めつけにがっかりしたのがこの一文。「そもそも遊びはコンテクストを理解しているほうが楽しい。たとえば、オペラ鑑賞をするにしても、事前学習をしないと意味が分からないし、アーティストのライブでも、事前に音楽を聴いてから行った方が楽しめる」彼自身「アーティスト」としての肩書でアートを創造する活動をしているはずなのに、音楽や演劇の持つその場限りの未知なるものに揺さぶられる感覚、固く言うと「アウラ」を体感したことがないのだろうなと思ってしまった。

彼の「作品」は文章や論文で楽しむのでなく、純粋にメディアアート作品だけ楽しもうかなと思ってしまった。今年読んだ本ではぶっちぎりのワースト。