midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

「つゆのあとさき」を読む。

面白かった。「日本の夜の公共圏:スナック研究序説」で女給さんを取り扱う項目があり、そこで紹介されていた一冊。1930年代の銀座など華やかな東京を舞台に、カフェで女給として働く、田舎が嫌で飛び出してきた20歳の君江という無垢さと魔性を併せ持った妖婦と、その周囲の男たちを描いた作品。当時のファッション(着物の着方とかスーツや洋装の取り入れ方、髪型とか髭とか)や銀座の街並み(街灯の下をタクシーが行きかってたり)やインテリアなど、文化の描写にも力を入れており、風俗小説としても非常に面白い一冊となっている。何より、当時のカフェという文化(実在したカフェ・タイガーをモデルにしているらしい)に足しげく通って楽しんでいた永井荷風という作者ならではの精密な描写というか。直接的な性描写はないけど、待合(ラブホテル)での会話とかほんのりエロさも感じられるところもナイス。

やはり、非常に現代的というか君江という女性の魅力の描き方が良い。目を見張る様な美人ではないのだが、なぜか男を惹きつけて離さない。媚びてるわけでもないし、最新のファッションやインテリアで飾り立ててるわけでもないし、何より教養があるわけでもないし、金持ちになりたいとか女優になりたいとか自分の店を持ちたいとかの野望があるわけでもない。でも、ゲーム感覚で男を夢中に出来たらと思って代わる代わる寝てみて、男たちが自分に夢中になると飽きてポイ捨てするという最低な女なのだ。天然でヤリマン。相手を深く知ろうとしないし、男や同僚の女たちにも自分を知ってほしいと思わず、自分語りもしない。だから男たちを格付けすることもないし、しょうもない三文小説とは言え売れまくりの金持ち作家も適当にあしらうし、かつて自分を親代わりにかくまってくれた後、商売に失敗して落ちぶれたおっさんとも簡単に寝てしまう。打算がまったくないがゆえに男から恨みを買って危ない目にも合うけど、行動を改めようとか反省するでもなくあっけらかんと生きている。

そして逆に、金持ち作家の妻である鶴子はファッションもきっちりしており(鶴子が義理の父を訪ねる場面の描写はすごく美しい。「じみな焦茶の日傘をつぼめて、年の頃は三十近い奥様らしい品のいい婦人が門の戸を明けて内に這入った。髪は無造作に首筋へ落ちかかるように結び、井の字絣の金紗の袷に、黒一ツ紋の夏羽織。白い肩掛を引掛けた丈のすらりとした痩立の姿は、頸の長い目鼻立の鮮な色白の細面と相俟って、いかにも淋し気に沈着いた様子である。携えていた風呂敷包を持替えて、門の戸をしめると、日の照りつけた路端とはちがって、静な夏樹の蔭から流れて来る微風に、婦人は吹き乱されるおくれれ毛を撫でながら、暫しあたりを見廻した。」)フランス語に堪能で文学にも明るく、自分の夫の小説がカスであることも知りつつ、不倫の末の結婚ということで慎ましく生きているのであるが、物語終盤に転機が訪れフランスに行けることになるというのも君江と正反対で面白い。

解説とか読むとフローベールとかゾラとか自然主義の影響がなんちゃら、みたいなことらしいけどこういう人物造形や配置の仕方、話の転がし方とかとても巧みで面白い。秋は何となく物悲しい日本の近代小説を読むのが好きなので、この調子でまた何か読んでみるかなー。