midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

サブカルで食う」を読む。

サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法

サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法

もう大槻ケンヂ関連はいいかな…、と思えた一冊。以前、「グミ・チョコレート・パイン」のマンガを読んだ時も思ったけど、全然面白くなかった。自分が「サブカル」という病にかかってそうでかかっていなかったのだと思うが、大槻のような人生に対する憧れがあまり沸かないんだよね。本書はあわよくば好きなことだけやって生きていきたいと思ってる人が読む本だと思うし、自分もその一人ではあるけども、かと言って大槻の例があてはまる人は一部だと思うし、真似したいとも思わない。本書は、勿論努力もあるだろうけど結局チャンスや運に恵まれて成功した人のゆるい体験談としかなっておらず、この本を欲しているほとんどの人にとってためにならないと思う。これだったら、宇野常寛が提唱するような、「副業しながらやりたいことをやる」生き方の方がよりリアルでためになると思う。

何より社会的なニーズから見た分析が本書からごっそり抜けてるのはすごい。大槻が「サブカルで食え」た時と今は産業構造がまったく変わっているし、一定の知名度を得た彼の今の立場でできる仕事と、その辺の駆け出しのライターやらミュージシャンやら小説家やら芸人やらなんやらができる仕事では全く質が変わってしまっているが、彼自身ほとんどその辺りに無自覚なのがすごい。「俺はこうやってなんとかやってこれたし、君たちもこんな風に取り組めばやっていけるんじゃない?」という至って優しい語りかけるような本書の口調は、それだけ残酷にも読めると思う。気の向くまま、創作意欲の赴くまま音楽や文章を書きなぐっても、それを必要としてくれる人、対価を払ってくれる人はほとんどいないのだ。まず、その厳しい現実を教えてあげることがサブカル界の先輩の優しさなんじゃないだろうか。ライターをやったって、雀の涙ほどの原稿料しか入らない。音楽を配信したって違法ダウンロードされるし、you tubeでいくらでも聴けるし、テレビ離れは加速しているし、全てのコンテンツ産業は何らかの形でビジネスモデルを転換しないとやっていけない時期に来ている。大槻の周囲にだって、そんな闇でもがいてる若手サブカル人はたくさんいると思うんだけどな。

あと、色んなところで言われてはいるけど、いわゆるサブカル教養主義的なのを振りかざされると途端にどうでもいいよと思う。巻末で宇多丸との対談が載っていて、「○○を観て反応しないヤツはだめだ」とか「○○をつまらないと感じるやつに説教したくなる」みたいなことを話してるけど、過去の名作だかなんだか知らないけど、面白いと思えない領域にいちいち時間を割くより自分が面白いと思う領域にどっぷり夢中になる方がいいと思うけどな。肥大した自意識とルサンチマンで変に説教臭く排他的なサブカルの人より、自分が「勃起」できる好きな領域を食い荒らしているオタクの自分の方が幸せなんじゃないかと思う。