midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

「知性は死なない 平成の鬱をこえて」を読む。

「日本人はなぜ存在するか」に続いて著者の最新作である本作を読んでみた。面白かった。気鋭の若手歴史学者であった筆者が躁うつ病(双極性障害)を患って職を失い、現在では在野の学者として自分の生きた時間と照らし合わせながら、平成という時代について述べたもの。内容は多少雑駁になっているが、読み書きや簡単な会話すら出来なくなるほどになったという著者の症状からすると信じられない位の回復ぶりで、凡百の類書よりよほど深い洞察力で、かつ自分語りに落ちず丁寧な筆致で研究者としての矜持を持ちながらつづった文章に痺れる。精神病を患った経緯に、確実に自分の所属した大学への失望(普段自分が学説として主張していることとは真逆の振るまいを大学内政治や振興のために行うこと等があったらしい。論壇など「ごっご遊び」に過ぎなかったと述懐。)があったものの、それが直接の「原因」と安易に決めつけず、被害者意識で現行の大学組織を糾弾するようなドラマチックな言論もせず、ひたすら誠実に自分の病の意味を考え続ける。

特に、個人的に鬱について誤解していた面は多かったなぁと反省した。鬱になった友人に対して、本書で挙げられている「10種類の誤解」と同じような心無い発言を浴びせていたことは思い出されるし、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。心の風邪なんていう軽いものではない。気分の問題ではなく、能力が低下していく病気である。脳へのアクセスが鈍化し、IQも明確に落ちる。鬱状態、というのは軽い鬱を示すのではなく、どの病気に起因するのか判断できない状態を指す。過労やストレスに起因しない鬱もある。「新型鬱」は医学用語ではなく、それと診断できる根拠がない医師は診断すべきでない。鬱は遺伝や性格との相関があるわけではない。カウンセリングや認知療法が鬱に効くとは限らない。離人症は自分の体に関する感覚が乏しくなり、あらゆる遠近感が狂ったような症状を呈する。この辺は教訓として押さえておきたい。自分がなる可能性も十分あるんだし。

また、身体と言葉という概念から鬱を捉えなおす思考も面白いと思った。鬱状態って言葉でなく身体に寄った状態なんではないかと。

また、ポスト・トゥルースの時代とか言われる現在において、西洋・東洋問わずに知性の価値が軽視されつつある中、知性を持ってものを考え続けることの重要性を訴える。もともとは「反知性主義」というのが言葉の意味としては、プロテスタントによる宗教改革に端を発する「反正統主義」に近かったということ。近年話題になった「ビリギャル」現象を取り上げて、「慶応に行く」ことが唯のマクガフィンに過ぎない状態の物語が社会で受けているという状態について語れていてなるほどなぁと思った。あと、EU離脱問題についてあまり経緯を知らなかったんだが「ドイツに都合のいい為替レートと労働市場をつくるための「ドイツ帝国」だ。そんなもの、離脱して崩壊させてしまえ」というような主張が溢れていることも今回初めて知った。あと、日米安保を脱して日中同盟を結ぶという選択肢も日本にあり得るという話も目から鱗だった。日本と歴史的な西洋へのアプローチを続けてきた国としてトルコやイランを挙げるのも全く意識がなく面白かった。それと、著者の指摘する「天皇生前退位に関する危険」も全く感じず、単純な人間性から「疲れてるんならやめさせてあげれば?」位にしか感じていなかったので主権者としてちょっと反省した。また、能力の主語を人からものに移し替える「アフォーダンス」という概念については、能力の差、知性の差がありつつもそれを許容しつつ社会をデザイン出来ないかという観念で、気になるキーワードとなった。