midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

俺たちに明日はない」を観る。

観ててかなり不愉快になる映画。あんまり道徳的な観点で映画を評価したくはないけど、とてもじゃないが好きになれない。作品としてはまとまりあって役者もそれぞれ(観てて不快だが)うまいと思う仕事してるし、ファッション的にも今見て面白いと思う。でも、同じような不快感を伴った、ダルデンヌ兄弟の「ある子供」に比べて絵の美しさの面でも劣っていたように思う。

大恐慌時代のアメリカの南部の片田舎に住むボニーとクライドという二人の考えなしの救いようのないバカップルが、兄夫婦や適当に拾ったゴロツキを連れて銀行強盗や泥棒を繰り返し、罪もない店主や銀行員や警察を13人も殺害した実話を美化したお話。

前述した「ある子供」と同じく、主人公たちは非常に刹那的で知性が低く、まさに「明日のことも考えられない」思考回路で行動しており、自分の行動が元で社会からしっぺ返しを食うことにあまり自覚的でない。終盤になって本作のボニー(女)は、「もしこれまでの行動をなかったこととして、警察に追われることもなく新しい生活を始められるとしたらどうしたい?」とクライド(男)に問いかけるが、彼は「そうだな、まだ行ったことのない州に新しい家を買って生活を改めるんだ、仕事(強盗)は別の州でするんだ」と真面目に答えるくだりがあり、これはとても印象的だ。

彼にとって生活を改めるとは、まっとうな仕事についてサービスやモノを生産することではなく、あくまで「他人から財を奪う」ことを前提としてしか考えることが出来ない。いくら抑圧的な大恐慌時代であったとしても、この海賊や山賊のような粗野な人間(ボニーは確かにここに野生のオスとしての匂いを嗅ぎとり、惹かれたのだろうが)は現代ではサイコパスとしてしか認知されないし、社会が受容できない。初めて殺人を犯した時には良心の呵責に苛まれたか、ボニーに対し、「俺と一緒にいたりせず、家に帰れ」と諭す面もあるクライドだが、彼は人の痛みを想像する理解する回路が非常に弱い。あまりにも無計画で詰めの甘い彼の仕事ぶりにもそれは表れている。ボニーはそんな彼の前述の発言に絶句し、顔を背けてしまい、クライドは「え?俺なんか変なこと言った?」的な顔をするのだが、両者とも低脳だがここで明確な違いも浮き彫りになる。

ボニーは最初こそスリルを求めクライドと行動を共にし、「世界を支配できた気になった」が、母と共に暮らす平凡で静かな生活を欲していたのだ。結局破滅を自覚しながら彼としかるべき最後を遂げることになるけどね。この変はなんか演歌的な情緒というか、惚れた男と添い遂げるという感じもある。こういう点をとっかかりにして本作は観客の「共感」を得たのかねぇ。すごくヒットしたみたいだし、こうしてアメリカン・ニューシネマの金字塔になってるくらいだし。

そして、金に困り自分の子供を売り飛ばすほどに良心の呵責もなく犯罪を犯すが、大切な人間を傷つけたことを自覚し、うなだれるラストで終わる「ある子供」の主人公とクライドの違いがそこにある。

こうやって書いてみると、主人公二人が待ち伏せた警官に蜂の巣にされ殺されるラストシーンは爽快感があった。自分が傷つけ殺してきた人たちに比べればそっけ無さ過ぎる死に方ではあるけども、映像的には印象的だ。いい映画かもしれないけど、好きな映画ではない。