midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

何となく頭使わない映画が見たくてジャック・ブラックの「スクール・オブ・ロック」を見る。

ほとんど予想を裏切らない、エンターテイメントとしてよく出来たいい映画だね。悪く言うとウェルメイドだけど、小ネタも効いてて随所で笑えるし、小学生からお年寄りまで楽しませ、ガリ勉だった子供たちの変化と笑顔を見ることが出来て、ジャック・ブラックも周囲の人間もライブを期に皆ちょっとずつ成長して良かったね、めでたしめでたしという。

結構皮肉っぽい書き方だけど、きちんと配慮の行き届いたポップさをあんまり嫌味に感じずに観れたのでこれは作り手の勝ちだと思う。

もう一つ今日は安藤忠雄の「建築に夢をみた」を読む。

建築に夢をみた (NHKライブラリー)

建築に夢をみた (NHKライブラリー)

建築と思想界の絡みがある時期まであったっていう記述を東浩紀波状言論に見てから建築には何か深い精神性があるんだろーなーと漠然と思ってたけど、近代建築の巨匠たちがどーいう考えの下で自分の作品を社会に提案して行ったのかっていうのが大まかにこの本で分かった気がする。

バウハウスとか言葉は知ってたけど意味がわかんなかった建築用語とか、日本の都市開発の進まなさと民度の低さみたいなのをなげく感じは何となく伝わった。攻殻機動隊の中でバトーが都市は外部記憶装置であって…みたいなこと言って印象に残ってたけど、人間の思考の粋がそこに現されてるといっても過言じゃないよね。アテネのポリスじゃないけど実際生きるために人間は群れを作って生活空間を作り上げてきたわけで、都市のあり方は人間の思考を培養する器でもあるし(カフェだの井戸端だのと言った社交場とか)、それを見ればそこの土地に住む人間がどういう生活をしてきたのかがよく分かるという。本棚を見ればその人の興味関心がある程度つかめるというのと同じだな。だから人によっては本棚を見られるのは頭を覗かれるみたいで恥ずかしいとか言うし。

俺の事例まで話を落とすと、ル・コルビジェの「建築は住む機械である」っていう言葉は知ってたけど、知らない間に自分もこういう住居観を持ってたんだよな。何かちょっと感動的だった。俺の理想とする部屋もしくは空間って俺のために最大限機能する「脳の拡張としての空間」なんだよね。本やCDなどのモノにストレスなくアクセスできて、工学的に体にいい椅子に腰掛けて計算された音響で映画を観る、みたいな。他の人の匂いがするモノを置きたくないし、整然とした空間を作りたいという思いはすごくあって、この本読んで将来的にそーいう家を作りたいなーと改めて感じた。本は基本的に今後図書館という社会的共通資本を活用していきたいと思ってるのであまり増えないだろうけど、モノと空間の関係には敏感にいたい。

そして、家族を持っても自分の城は確保したいね。

坂本美羽は確か坂本龍一が音楽を作る現場には何となく居合わせることが出来なかったというようなこと言ってた気がするんだけど、同じように子供が出来ても俺が正常な精神活動をするためにも自分の空間は保ちたいな。子供とはいえ俺の頭とは違う処理系を持つ他者なわけで、そこは守りたい。

とりあえず安藤忠雄の仕事が関西圏に多くて東京ではあまり観られないのが残念。やっぱ建築は実際に五感を駆使してその空間を味わって見ないと評価できないから、有名な作品とかを調べ歩く趣味を作ってみたいなーと思った。