midnight in a perfect world

webエンジニアのメモ

昨日は鳥良で食事。

めちゃくちゃうまいと思えるものには出会えなかったが雰囲気はいいかもね。ナンコツとかレンコンのサラダがうまかった。

その後友人宅へ泊まったため朝帰りになり、今日は夕方近くまで寝てた。

もうちょい生活リズムを掴みたいね。起きてからこまごまとした雑事をこなしつつ、平田オリザの「演技と演出」を読む。

演技と演出 (講談社現代新書)

演技と演出 (講談社現代新書)

相変わらず読みやすい文章。この人の文章はすごく好きだ。読んでて今までもやもやしてた演技の良し悪しとか演出とは何かというところをスッキリと彼の経験則と知識で整理してくれるので、鱗が落ちるというか劇作についてよく分かる。

一度くらい彼の演劇を見てみたいなぁ。

演技論についてはスタニスラフスキーとかブレヒトの考え方はとても興味深かった。マーロン・ブランドのような映画というジャンルで影響力を持っていた俳優がスタニスラフスキー・システムという演技論に則って演技していたと考えるとこれまでの映画の鑑賞法が変わるような思いだ。俺がかつて見てきた様々な職業俳優も俳優養成学校のようなところで彼の理論に基づいた演技を仕込んでいたのだろうか?彼の方法論が今どのように演技人たちに影響を与えているか分からないけど、とりあえず俺は平田氏の演技論のほうが受け入れやすいというか、似たような認識に立っているとわかった。

役作りのために対象の人物や物語のコンテクストに近づいてそれを「再現」する方法論よりも、心で別のことを考えていても、客が鑑賞した時に俳優や演出家の意図するイメージを提供できる役者の方がスキルがあると思う。平田氏はカオスな世界をそのままカオスなまま表現すればいいという風に書いているけども、俺は演出によって世界を加工・制御して(製作者の意図をもって)表現することこそが劇作家や演出家のスキルだと思う。じゃなきゃ「現実の世界が一番正しい」わけなので作劇する必要がなくなってしまうし、過去の物語の受容の仕方を見てもどうやら人間に物語は必須の文化みたいなので、物語というのは現実を加工し認識をゆるがすという点には注意をおきたい。でも理論的に気になったのはその辺だけで、ワークショップなどでどのように演技指導を実践しているのかを知るだけでとても興味深かった。練習に使う脚本は会話劇が中心だけど、「空気」の作り方とか俳優に与える負荷とか、普段こんなこと考えてんのかーと頭の中をのぞき見れる思いだ。俺でも参加してみたら普段の振る舞いに深みが出るんだろうか。とりあえず、身体に対する感覚は磨かれるんだろうな。

また、特に本作とは関係ない疑問だけど、演劇人としてはアイドルやモデルなど、他の分野から出てきた容姿のいい人間が劇作にかかわっていくルートの是非についてだ。近年のドラマなんかはジャニーズ主演やグラビア上がりみたいな女優も多いけど、彼らは勿論演技を磨いてきた経験なんか無いだろうし(ジャニーズなんかは多少お稽古としてあるのかもしれんが)、そもそも作劇に興味のあったものは非常に少ないだろう。売れなくなったミュージシャンや芸能人なんかはミュージカルに活動移したりするし、なぜ「全然違うスキルが要求されるであろう俳優という職業には、他分野からの表現者流入していくのか」というのは長年の疑問だった。

でも「高い演技を評価されている」と言われる人も中にはいるわけで、俺はどーもその辺が眉唾だったのだ。実際に演じることで飯を食ってる演劇人から見て彼らはどうなんだろうか?最近NHKトップランナーで見た永作博美も、「人のセックスを笑うな」とか見て個人的にすっごく雰囲気作るのうまい女優さんだと思うんだけど(てか可愛すぎ)、インタビュー聞いててもどうも「プロ意識」が感じられなかった。プロ野球選手はコンスタントに成績残さないと戦力外通告をうけるから、いつでも自分のパフォーマンスを磨く努力をしなくてはなら無いわけだが、彼女は「演じる」という自分の職業の技術を磨こうという気負いがない。これは「自然体の演技」とかいうレベルの話とは全く違う。その辺にいそうな平凡な人でもエキセントリックな人でも演じきれるのが俳優のアイデンティティじゃないんだろうか、と思うんだけど、やっぱり俺の見た目では彼女はうまいなーと思うんだよなぁ。何でだろうか。そういや蜷川幸雄なんかは小栗旬を評価してたけど、ホントか?まーこの辺は実際に舞台とか見て確かめるしかないのかなー。

とりあえず古典的な演劇よりは現代口語演劇の方が面白そうなんじゃないかという予測がたったので、いずれ見てみたいね。

そーいやちょっと薄くて忘れてたけど「遺伝子VSミーム」を読む。

遺伝子vsミーム―教育・環境・民族対立 (広済堂ライブラリー)

遺伝子vsミーム―教育・環境・民族対立 (広済堂ライブラリー)

なるべく平易な文で社会と生物の進化の過程の関係を知りたいなーと思って借りたんだけど、平易なのはいいけども薄っぺらすぎた。民族紛争とかの事例研究は正直言ってミームという枠組みなんか使わなくてもいいんじゃなかろうか。

それにミームも結構眉唾な理論なのかもなーと思った。ルーマンを読んでた頃はオートポイエーシスを導き出すのに生物学の知を必要としたと学んで、社会の進化を予測するのにこれまでの生物学は参考になるのかと思ったけど、今となっては結局すべて無理に共通点を探り出した空理空論という気がしないでもない。ルーマンも結構読む気失せたしなー。何より現代社会の仕組みを知ろうとするより気持ちいい趣味や日常を作り出すための方法論が欲しいという風に知的興味がシフトしてるからなのかもしれんが。政治哲学とかはある程度興味あるけど、今はそういうモードじゃないのかな。それとも思春期のはしかみたいなものか?

思考することは放棄しない生き方を選ぶつもりだけど、昨日友人たちの「ある程度年取ったら気持ちいいものだけ追い求めたいよね」というやり取りを聞いて俺ってストイックすぎるのかなーと思ってしまった。でも苦心して磨き続けることが好きなんだということも経験則で分かってるので、ジジイになっても日々成長する人間でありたいね。