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webエンジニアのメモ

亀も空を飛ぶ

亀も空を飛ぶ [DVD]

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何か、語り口が多くてうまく整理できない。この作品を語るのはとても労力がいる。

まず、これはフィクションであるという前提は確認しておきたい。イラク戦争アメリカがフセイン像を倒した当時の記憶はそれほど明瞭でないし史実にも疎いのだが、この映画に出てくる子供たちは「孤児を演じる孤児」たちであって、戦場を駆けずり回って収めた映像ではない。物語である。だから、この映画を先進国と呼ばれる人々が見て「自分たちはこんな悲惨な事実が行われていることを知らずにいて恥ずかしい。もっとこんな映画をしらしめて行くべきだ」といった変な正義感を起こす必要は全くない。この辺は小林よしのりの脱正義論とかで10年前にある程度盛り上がった議論だとは思うけど、悲惨な事象が起こっている現場に近づくことでアイデンティティを注入するのはやっぱりおかしいとは思う。何も動くなと言う訳じゃないけど。動き回る偽善によって世界にアクセスすることもできるわけだし。

だから評価したいのは、作品単体の力だ。映像は辺に説明口調でないし、「悲惨な子供たちですがこんなに懸命に生きてます」というアジテーションもそれほど感じないし、地雷の埋まった鉛色の土地の映像をバックにキャラ同士のやり取りを繊細に追っていく。サテライトの取り巻きの泣き虫の男の子がもう一人の取り巻きの子に地雷の埋まった地帯に行くよう説得するとき、「俺のもう一方の足までなくさせる気かよ」とつっこまれるわけだけど、このリアルで面白いやり取りは実際はかなり笑えない。彼らは自分たちが悲惨かどうかを知らないし、知っていても何かが変わるわけでもない。相変わらず地雷をピンはねされつつも売って金を得るしかないし、それ以外で生きられない。選択肢と言えば、死ぬか生きるかしかない。あえて選択するコミュニティなんて存在しない。こういうことを声高に語らないことが作品に奥行きが出てると思う。

物語は冒頭で演奏された死の旋律をラストでセオリーどおり繰り返し、希望とも絶望とも割り切れない”変化”の訪れを迎えて物語は終わっていく。淡々としている。

少女アグリンは既にコミュニケーションの取れない位相にいた(冒頭でサテライトから死ぬためのロープを買おうとする)。兄やサテライトのアプローチも拒絶し、死を選んだ。戦争という個人でどうにも出来ない大きな力の中で二人は庇護者も失い出会ったわけだが、同じく戦争の持つ力によって引き裂かれた。

「バベル」のようなディスコミュニケーションを描いたと言えばいいんだろうか。語ろうとしてももやもやがあって、またそれを晴らす作業も面倒で、消化不良のままこの作品を語るのをやめようと思う。