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webエンジニアのメモ

「おいしいもののまわり」を読む。

おいしいもののまわり

おいしいもののまわり

だめだ、楽しめなかった。老害保守偏屈親父の凝り固まった偏見に満ちた文章で、読んでてイライラする。大泉洋のものまねから知って、和食に対して含蓄ある人の文章ということで読んでみたんだが…。

とりあえず本書で繰り返されるキーワードは「昔ながらの」「家長のためのご飯」「お母さんの作るご飯」「伝統ある」「最近の日本では~しなくなった」「世界に誇る日本の~」みたいなフレーズ。仮にもフランス・スイスでフレンチを学び、色んな国の食文化に触れてきたプロがこんなにゴリゴリの右翼みたいな言葉しか出てこないというのも悲しいなぁと思う。勿論和食以外の調理法の良さも触れられているんだけど、和食を引き立たせる添え物くらいの感覚でしかない。

そして、研究者じゃないからしょうがないかもしれないけど、食文化について歴史的にきちんと体系だった知識がないのかあえて使わないのか、「昔の日本では~」みたいないい加減で曖昧な記述が多いのも気になる。上記はほとんどの場合「著者自身の幼少期」と読み替えることが可能なんだけど(こういう自分本位な書き方も嫌い)、「昭和~年代」とか具体的に書くべきだと思う。

そして主張も矛盾が多く、例えば「計量はしっかりして、料理を常に一定のクオリティで作れるようになることが大切」と説くかと思えば「数字なんかにとらわれない、五感で感じた(おいしそう)や(美しい)という調理が大切」みたいなことも言い出すし、わけがわからない。俺からしたら、和食だと山本征治のように「輸送技術が発達して扱えるようになった食材を使い、現代ならではの調理技術を駆使して作る和食」の方が料理文化に対して貢献してると思う。著者のように、ただただ自分が経験してきた時代の和食を今後も残そうと躍起になるってナンセンスだとしか思えない。本書の最後の方に「ご飯の消費量がパンに抜かれた。嘆かわしい。米離れをとめなければ」と主張しているところがあるんだけど、グローバルな環境の変化についていけない盲目な老害そのものでしかないと思う。これだけ世界中の食材が手に入る現代の日本において、かたくなに変わらないことを目指す方が異様だと思うんだが、著者には諸外国から輸入してきた新しい食材を使って新しい和食を作ろうという気概は微塵もないらしい。